碧南街づくりとしてお寺ヨガを始めた理由〜後編〜

自分らしく暮らせる街へ
前のめりに生きる人へ

街に必要なのは、教育だ。

社会が大きく変わろうとしている。
モノがなくて作れば売れた時代。

作るために働く。
ストレスが対価になった時代だった。

銀行に預ければ利子がつく。
勤め上げれば退職金がある。
老後には年金がある。

待つすなわち時間を投資すればどうにかなっていた。


しかし現代はどうだ?

ストレスのある仕事からAIに代替され、
高齢者があふれ2012年から人口は減るばかり。

勤め上げて退職金があるのかも
老後に年金があるかも定かではない。

今を生きるためには、
根拠のない期待を待つことでも
先人の教え通りに生きることでもない。

『自分で何を考え、どう切り開くかだ』

インターネットが普及して距離が近くなった。
情報はググればすぐわかる。
会いたい人にもコンタクトが取れる。

今を生きるために必要なのは

『自分で考える力』だ。

『本当に正しいのか?問う力』だ。

『それを確かめるために”動く”力』だ。


だが、それを教えてくれる人が
周りにどれだけいるだろうか?

小学生の頃、狭いコミュニティにいて自分は悩んだ。

「今の若い者は」と皮肉る老人。
夢を語れない生産性のない大人。
挑戦に対して無理だよっていう教師。

彼らを否定しているわけではない。

彼らは「彼らの正義」で話してくれているだけだ。

自身が経験した事とずれてしまいそうな若者に対し
教えてやらねばという”優しさ”をくれている。

だがその”優しさ”が正しいのか?は
自分で判断しなければならない。

だったらきっかけを作ろう。

教育をしよう、教育からまちを変えよう。

そのために
学校じゃ教えてくれない教育 をお寺でやろう。

学校で学べるのは、基本的な知識だ。
しかし現代社会に出て必要になるのは知恵だ。

なぜなら知識はインターネットで補える。

だからこそどんな経験を積むのか?
経験者から話をきいて擬似体験するのか?
知識と経験をもとに知恵にするかが大切だ。

学校じゃ教えてくれない教育では
各分野で活動されている外部講師をお願いする。

親や親戚、学校の先生じゃない。
新しい出会いで新たな可能性を知ってもらう。


出会いと同時に社会に出てから必要なこと。



例えば
目標設定や物事の捉え方、時間の使い方…
を教えてもらう。

新たな選択肢を提供する事で
新たな興味を生み経験を生み知恵になる。

その根源にあるのはきっと教育だ。

教育が変われば思考が変わり、
思考が変われば行動が変わり、
行動が変われば習慣が変わり、
習慣が変われば仲間が集まり、
仲間が集まれば社会が変わる。

教育を変えて自分らしく暮らせる街を作る。

それが今後の展望、お寺ヨガの行く先だ。